2018.12.30
北九州市小倉北区の花屋 フラワー&バルーンギフト専門店 、フローラルポートの走る花屋、福田智雪です。
明日で2018年も終わり。
以前にも書いたのでご存じの方も多いと思いますが、私の奥さんが病気にかかり1年が過ぎました。
お客様や、お友達にもご心配いただきなかなか詳しくお話しできず、このブログで状況をお察しいただいてる方も沢山いらっしゃるようです。
まだまた「全快」とは言えませんが一区切りつきましたので、今までの経過と福田家の闘病生活を書いておきたいと思います。
2017年12月12日(火)夕方から具合が悪いと言い出した奥さん、翌日が定休日だったこともあり翌日かかりつけの病院へ。
昨年、2回「腎盂炎」にかかったことありおそらく同じだろう・・と受診したら先生から
「今回はただ事じゃない。紹介状を書くのでこのまま市立医療センターへ」と救急車でそのまま医療センターへ。
この時点で私も医療センターへ。
検査の結果、
「卵巣に腫瘍があり腹水もたまってる、このまま入院してください。
本来なら良性腫瘍か悪性腫瘍かを調べるところですが、腹水がたまってること、大きさから言っても悪性腫瘍に間違いがありません。
手術してとるにもこのままでは手術できません。
抗がん剤治療をして、ガンを小さくしてから手術したいと思います。」
と、言うことで昨年12月13日(水)から福田家の闘病生活が始まりました。
娘の受験を控えてたこともあり、いろんな雑音を娘の耳に入れたくなかったこと、私自身も繁忙期に入ると言うことでそのことで人から色んなことを言われたくなかったこと、その他もろもろの事情によりあまり病気の事を話しませんでした。
手術前の抗がん剤治療は3回。
入退院を繰り返しながら幸い抗がん剤が効き2月初旬に手術することに。
今年2月7日(水)の手術に向け、検査等で2月2日(金)に事前入院。
あとは手術して術後の抗がん剤治療がうまく行けば・・と思っていました。
2月5日(月)朝病院にタオルを持って行ったところ本人は寝てました。
ちょっと苦しそうにしてたものの、起こしては悪いとタオルだけ置いて店に帰ってきた矢先に病院から電話。
「奥様が脳出血を起こした疑いがあります。今から詳しく検査しますが緊急手術になるかもしれませんのですぐに病院にいらしてください!」
検査の結果は「小脳出血」
緊急手術でこの時は8時間ほどかかりました。
手術は無事に終わりICUで面会しましたが、当然意識はないまま。
執刀医の先生の話では「手術は無事に終わりましたが、意識回復はご本人の力になります。」
翌日面会に行くと意識は戻りました。
が、もうろうとしている状態。
翌々日には会話に相づちを打ったり少し笑えるほどに。
その翌日には一般病棟にうつりましたが、麻痺がどこに出ているかも分からない状態。
寝返りも当然できません。
喉が麻痺して、誤嚥(唾液が肺に入る)を起こして肺炎を起こしかけていましたが先生の話ではこのまま様子を見ましょうとのことでした。
脳出血の手術が5日月曜日。
10日の金曜日、市場から車で店に戻っていると病院から電話。
「肺炎が治まりませんのでこのままではこのままでは生命に関わります。気管切開手術をしますのですぐに病院に来てください。」
病院に着き同意書に記入、気管切開手術をして喉に「カニューレ」という器具を取り付けました。
この器具を付けると、喉の器具から呼吸し唾液は人工弁により胃に落ちるようになります。
先生の話では喉の麻痺がなくなれば器具は外せるとのこと。
ただ、喉の麻痺がいつ頃なくなるのか?そもそも喉の麻痺がなくなるかどうか?も誰にも分かりません。
本人はこれでしゃべることが出来なくなり、意思疎通も難しくなりました。
喉に痰が詰まるので定期的にバキュームホースで吸い出してもらいながら1日中ベッドに寝ていました。
栄養は鼻からチューブを入れて胃に直接流し込みます。
体内にチューブが入るため違和感があり無意識にチューブを自分で引き抜いたりするようになったので、手には分厚いミトンのような手袋をはめ「もの」をつかめなくして、しばらくはその手ををベッドの柵にくくりつけていました。
今、思うとこの時が一番辛かったのではないでしょうか・・。
数週間で「カニューレ」が「喋れる」タイプに変えられました。
これで意思疎通も随分出来るようになり体力も少し回復してきましたが、まだ食事が取れないと本格的な体力回復は無理なようでした。
幸い喉の麻痺が取れ「カニューレ」はは外され食事も流動食から少しずつ硬いものへと変更されていきました。
このあとリハビリ期へと移るのですがまだまだ大変な状況は続きました。
少し長くなりすぎましたので続きは明日にでも・・。