2019.01.03
北九州市小倉北区の花屋 フラワー&バルーンギフト専門店 、フローラルポートの走る花屋、福田智雪です。
卵巣癌の手術は無事に終わり、目視、MR検査、腫瘍マーカーすべて転移なしでした。
ただ、「見えないガンを叩く」と言う意味合いで手術後抗がん剤治療を4回行う必要があるとのことでした。
再び、総合病院とリハビリ病院の行ったり来たり、転院の繰り返しです。
2度繰り返してると、リハビリ病院でのリハビリ制限入院日数(国で決められた日数がありそれ以上は入院できない)を越えるので今の病棟では入院できないとの話がありました。
方法としては同じリハビリ病院でもフロアが違う「療養病棟」や「医療病棟」なら入院が出来るとのこと。
ただ、そうなるとリハビリに制限があり今のようなリハビリは出来ないとのこと。
しかも皆さん、勧めたくないとのニュアンスが読み取れます。
「一度見に行ってみますか?」とのことで見学に連れて行ってもらいました。
そこは、見るからに回復を目指すと言うよりも痛みの軽減や、少しでも動かすと言った回復目的とは違う患者さんが入院されていました。
年齢もぐっと上がります。
おしゃべりする声も聞こえず、言い方は悪いですが雰囲気も暗い。
ちょっと鬱の症状が出ていたうちの奥さんには酷な環境だと感じました。
で、「一度退院させてみてはどうか?」との考えが頭に浮かびました。
その時は歩行器を使えば院内は歩いて移動が出来る状態。
ただ・・当時の自宅は古いアパートの4階、エレベーターもなく狭い。
環境的にムリだと思ったし、理学療法士さんの許可も出ません。
そこで当初からムリだと頭の中から排除していた引っ越しを決意します。
幸い店の入居するマンションの上の部屋が空いていたためそこに決めました。
父の「介護」や「医療」「障害」で行政の手続きも理解してたのが今回の闘病で役に立ちました。
早々に介護認定を取っていたため、自宅に介護保険でベッドや手すりを付ける手配をしてもらい引っ越し準備です。
この引っ越し準備が大変だと分かってたため頭から除いていたんです。
娘は予備校1年生、朝早くから夜遅くまで予備校にいます。
私は週1回の休みでこちらも早朝から夜遅くまで仕事(奥さんいない分仕事も大変です)。
早朝や深夜、少しずつ荷物の整理と移動。
少し娘にも手伝ってもらいながら少しずつ、少しずつ荷物を移動させました。
昨年の猛暑の時期、エアコンを購入して取り付け工事を待ち、半分ほど荷物を前の住居に残したまま娘と住まいを移動。
大きな荷物は友人に軽トラックを出してもらい担いで移動。
処分する物はこれまた友人の清掃会社に処分を依頼して運び出して処分してもらいました。
何せ、階段アパートの4階、この引っ越しはホントに大変でした。
その後退院して、今度は自宅リハビリ&自宅からの抗がん剤治療が始まりました。