2019.12.16
身体の変なところが痛い北九州市小倉北区のフラワー&バルーンギフト専門店 、フローラルポートの福田智雪です。
賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ。
とは言え、「勝ちに不思議な勝ちあり負けに不思議な負け無し」by野村克也
負けたときはきちんと検証、って事で備忘録です。
(長いです、興味のない方はスルーで・笑)
当日、気温予想は14度、天気晴れ。
気温はいいけど日差しで暑いかも・・とかいいながらも最近は気象を気にしないようにしてる(どうしようもないから)のでそれなりの準備で臨む。
ノースリーブのシャツに汗冷え対策のノースリーブのアンダー。
グローブ、アームカバー無し、汗止めヘアバンド、サングラス。
目標タイムは3時間29分59秒。
このレースこのタイムで走っておかないと、次走の別大の完走が危ぶまれるので何が何でも・・。
号砲からゲートくぐるまで1分30秒ほどのロス。
それでも前半10㎞は5分12秒/㎞のスピードの予定なので多少上げて5分5秒/㎞で進む。
が、なぜか脚が全く動かず、楽に進むとはほど遠いくらい・・ちょっときつい。
このコース、スタートゴール地点が一緒でしかも前半2回スタート地点を通る。
1回目スタート地点に戻ってきたときにすでに憂鬱になる。
まだ8㎞しか走ってないのに・・。
いつもなら20㎞はウォーミングアップ、20㎞超えてさぁ行くぞって感じなのに昨日は18㎞で2回目にスタート地点に戻ってきたとき「あと倍以上走らなければならないのか?」と言う気持ちになる。
「今やめたら歩かずに着替えられるし寒くないし・・」と弱気の虫がぞろぞろ出てくる。
18㎞地点くらいでリタイヤしているラン友さんとすれ違う。
「あっオレも・・」
そう思いながらも決心が付かずズルズル走る。
この時点ですでに3時間29分なんて完全にあきらめ。
20㎞地点で仲間の応援と遭遇。
「福田さん、大丈夫ですか?」
「やめるかもしれん」
「頑張って!」
そんな会話をしたと思う。
歩きたいな・・
でも応援者の前で歩くのはちょっとなぁ・・なんて考えてるとトップランナーが折り返してきてスライドが始まる。
「あっ、もうちょっとしたらガチRUN仲間も走ってくるしこりゃまた歩けないや・・」なんて思いながらもペースはダダ落ち、フォ-ムも腰が落ちてズルズルだったように思う。
ただ、そんなこと思ってたら「次走の別大もあるんだし、ちょっとでも練習になれば。自分でやめることだけはしないようにしよう。1㍍でも長く走ろう。」と少し前向きに。
メンタルが前向きになったからか?25㎞過ぎて少し脚が動くようになる。
上げられるだけ上げよう。
でも相変わらずへっぴり腰。
そうこうしてると仲間とのスライドが始まる。
見つけても声さえ出ず、手を上げて無言の声援。
あちらも手を上げてくれたり声かけてくれたり。
随分すれ違った。
みんなきつそうだけど頑張ってるし、こんなしんがり走ってても応援してくれるし、少しでも前へ。
ホントにこのスライド区間は力になった。
が、折り返し地点の深いこと。
みんな折り返してきてるのに自分はいっこうに折り返せない。
それでも折り返してしばらく進むと最後尾とおぼしきランナーとその後に関門アウトの収容者を乗せるバスが2台。
話によるとこのバスの中、かなり暗い雰囲気らしい。
中を見るとまぁそんな感じ。
「乗らないで済むかもしれない。」
そう思って持ってるアプリやジェルを摂取してできるだけ速く。
この辺りだともうあきらめて歩いてる人、多数。
そんな中でもノロノロ走ってると沿道から応援してもらえる。
この応援も力になった。
最期の3㎞、三田尻大橋に仲間の応援がいることは聞いていた。
少し手前にKさんが迎えに来てくれて併走してくれる。
走りながら
「福田さん、酷なこと言うようですがこのペースだと関門間に合いません。」
まさか関門に引っかかるなんて思ってもないのでどこに関門があるかも知らない自分。
「最終関門何㎞ですか?」
「多分41㎞」
「時間は?」
分からなかったのか教えてもらえず(涙)
すでにこの時足が攣りかけてて、しかもフォーム悪いもんだから今まで攣ったことのない辺な場所がヒクヒク。
三田尻大橋の登りを超え下りでスピードつける。
また攣った。
スピードちょっと落として攣りが治まるのを待つ。
治まったらスピードを上げるその繰り返し。
すると今度は仲間のNさんが迎えに。
「福田さ~ん、まに合うよ!」
あとから聞いたことだけど、頑張ってるのは分かってるから頑張れって言えなかったらしい(笑)
でも競技場の入り口まで併走してひっぱってくれた。
ありがたい。
脚の攣りを戦いながらなんとかついて行く。
41㎞地点に来たけど、関門ないし・・。
でもゴール関門があるとすれば4時間。
危ないのは分かってたのでもう必死。
ここまで来てDNF、ゴールできないのはイヤだ。
その思いのみ。
やっとゴールの競技場が見え、角を曲がって競技場の入り口へ。
するとそこが最終関門(驚)
係の方がパイロンとバーを用意して関門アウトの用意してた。
時計見る余裕も無く必死で競技場内へ。
なんとかセーフ。
と、今度は競技場内で最期のランナー達に向かって声援が。
「あと1分30秒!」
「えっ?」
聞こえたけど、
「この競技場あと1分30秒で回れるのか?」
頭の中で一瞬考えたけど、考えてももう計算する余力無し(笑)
必死で走って走って、コーナー曲がって最期の直線。
ゴール横の時計(タイマー)が見えた。
あと26秒!
必死でもがいて3時間59分47秒でギリギリゴール。
ホッとして完走者通路をに入ると自分と同じTシャツ着た仲間が数名(笑)。
随分先にゴールしたはずなのに待っててくれた?
と一瞬思ったが、どうも足が攣った仲間をSUB3.5チャレンジの仲間が見つけてみんなで介抱してたらしい(笑)
もう、地獄のようなフルマラソン。
初マラソンと同じようなタイムだし、何度も潰れたし。
それでも仲間と更衣室まで馬鹿話やレース回顧しながらヨタヨタ歩いて帰る。
今回は応援や一緒にレースに出た仲間に本当に助けられた。
彼ら彼女らがいなかったら多分人生初のDNF。
ありがたかったし嬉しかった。
と、同時にあきらめたり自分でやめたりしなくて良かったなと。
「頑張らないと人は応援してくれない」いつも自分が思ってることは正しかった。
で、敗因。
まず脚の故障。
これはテーピングでなんとかなった。多少は影響出ただろうけど。
それより怪我で、練習時にしっかり追い込めなかったこと。
痛みが出たり、怖がってセーブしてしまった。
水分やサプリの補給がいい加減だったこと。
どだい本調子でなかったレースにあえて無謀な目標を据え、それを目指して突っ込んだこと。
ひょっとしたら普段やらないレース前の静的ストレッチを怪我への恐怖から朝やってしまったこと。
と同時に整骨院での直前マッサージ、これも普段はやらない。
おそらくこの辺りが絡まっての敗因だと思う。
別大まであと1.5ヶ月出来る準備をやれるだけやらないと・・。
外伝
昨晩疲れからか22時に就寝。
普段は朝トイレで目が覚めるまで起きることはないのになぜか0時30分に目が覚める。
脚は火照ってるし、妙なところが痛い。
で、目が覚めると悔しさと次走への不安で寝られず。
起床時間は5時30分。
またも寝られずそのまま起きて、風呂に入ってストレッチして軽く朝食食べて市場へ。
この悔しさを次走への糧にしなければ!