2020.12.22
今日の日経ニュース見出しを見て、見出しを考えた人に何らかの意図を感じた、北九州市小倉北区の勝山公園前にあるフラワー&バルーンギフト専門店 フローラルポートの福田智雪です。
大阪の病院に入院していた叔母が亡くなりました。
大正12年生まれ。
享年数えの98歳。
子供もなく、ご主人【叔父】も早くに亡くし1人だった叔母。
母の姉に当たる人で5人兄弟の長女。
大きな手術を5度ほど経験し、大病を患ったにもかかわらず兄弟で一番長生きしました。
末っ子だった母をかわいがってくれ、お互いソリも合ってたようでした。
叔母1人になってからは母が後見人の手続きをし、年に数回大阪へ出向いていろんな手続きや掃除などをやっていました。
叔母が入る特養を決め引っ越しを終えた1年ほど後、母が亡くなりその後は叔母のいろんな世話や手続きを私が引き継ぎました。
小さい頃に弟と共にかわいがってもらったこと、母の意思を引き継ぐことも必要だったことから何の違和感も無く年に数回、お見舞がてら大阪へ出向いていました。
丁度3年前の年末。
突然食事を摂らなくなり入院。
病院で、「もう退院はできないでしょう」とのことで特養の担当者さんと話して病院に住所を移させてもらい特養を退出ました。
入院当初は意識もあり会話もできていて、辛かったのか「死にたい」と譫言のように言ってました。
まもなく意識も曖昧になりここ2年ほどは目を開けることも1日に数分。
コロナ禍で会いにも行けず、いや、会いに行ったとしても私が来たことも分からない状態。
数日前、病院から危篤の電話をもらいましたが会いに行くことはしませんでした。
そして今日の知らせ。
叔母は元気な頃から『学術献体』を希望、登録していました。
そこの担当者とも母から後見人を引き継いだことを知らせていたので、今日は遺体の引き取りを献体の事務局へ電話。
遺体の引き取りも本日終わりました。
あとは手続き。
死亡診断書を病院でもらって、1週間以内に死亡届を役所へ提出。
火葬許可書をもらわなければなりません。
スケジュールを調整して25日に日帰りで大阪へ行くしかないな・・。
そんなことを考えながらあらかじめ段取りを整理するため大阪の死亡地の区役所へ電話。
すると、死亡届は手続きする人の住居地でも提出が可能だと知りました。
できることなら、この時期感染症拡大中の大阪へ行くのは避けたい。
明日病院に話して死亡診断書を郵送してもらう予定です。
年金等の手続きで一度は大阪へ行かなければならないでしょうが、そこは急がなくても良いはず。
冷たいようですが、今から大阪へ行っても叔母と対面できるわけでも亡く、遺骨が帰ってくるのは1~3年後。
叔母の意思で無縁仏として供養させてもらう予定です。
大阪へ足を運ぶ理由よりリスクの方が大きい。
もちろん悲しいし寂しいです。
でも退院を夢見ることもできず、床ずれと闘い意識混濁しながら生きながらえてる叔母を見ていたので正直ホッとしたし、叔母に対しても「良かったね」とも思いました。
向こうで母と再会して、ケンカしたり大笑いしたり意地を張ったり・・また楽しくやってほしいものです。
おばちゃん・・・明日の朝、仏壇のお袋に報告しておきます。